止まった時間を進める

机の上の日めくりカレンダーが10月9日のまま、止まっていた。
毎年買って、毎年使っている「味のカレンダー」という日めくりカレンダーだ。
そろそろ来年のものを買わないといけないと思っている。

10月9日は、「網膜剥離」の診断を受け、安静な上向き寝を始めて3日目に当たる。
最初に診断を受けたのは、近所の眼科でのこと。
左目の左上あたりにぼんやりと小さな影を感じて、変だと思い始めたのは多分10月に入った日かその翌日か、それくらいの頃の朝のことだった。
気のせいかも知れないと思って様子を見ていたが、ずっと続いていたので、10月4日に近所の眼科を受診した。

「網膜剥離」という言葉は知っていたが、具体的にどんな病気か知らなかった。
何となく顔面にパンチを受けたボクサーが「網膜剥離」になるというイメージがあった。
目をぶつけたとか、そういう場合になる場合と、老化に伴ってなる場合などもあるらしい。
ネットで検索すると1万人に1人か、7千人に1人かがかかるらしい。
手術をするしか治せなくて、放っておくと失明の危険性がある病気だった。
手術を選択するしかない。

最初に受診した眼科で紹介してもらった大学病院の眼科を受診したのが10月7日のこと。
最初に受診した眼科では、激しい運動を避け安静にしているようにと言われた。
具体的にどのように安静でいれば良いかピンと来なかったので、激しい運動は元々していないのだけど、速歩はしていたのでそれは止めておくことにした。
大学病院の受診で、安静もより具体的になって、「当て金」と呼ばれる金属製の両目の眼帯のようなもので、両目に小さな穴が開いているものを左目をガーゼで塞ぎ、それをつけて仰向けに寝ているように言われた。
食事とトイレ以外はずっとそうしているようにと。
入院は10月14日、手術は翌日の予定だ。
それまで「網膜剥離」の進行を防ぐための安静だ。

退屈との闘いだった。
退屈しのぎにオーディオブックを聴いてみた。
伊坂幸太郎さんの『グラスホッパー』を聴いてみたが、何と18時間以上かかるようで、長時間聴いているのも疲れた。
しかも途中で眠くなってうとうとして、聴き逃す。
巻き戻して聴き直すことを繰り返すものだから、1冊聴き終えるのには3日くらいかかった。
オーディオブックなんて聴くものじゃないと思ったが、もう1冊何とか聴いてみた。
某社のマットレスが良くないのか、1日で腰痛になってしまった。
退屈と腰痛との闘いだった。

手術は10月15日の夕方だった。
局所麻酔で意識は終始はっきりしている。
手術室に入るだけで心臓がバクバクになり、血圧が上がる。
心電図とか血圧計とか、いろんな機器をつけられ、左目はシートのようなもので開けたまま固定される。
消毒液なんだろうが、何度も繰り返し左目にかけられる。
目薬のような感覚ではなく、もっと大量の液体を左目に感じる。
ふいに左目の下のあたりに注射器が入る鈍い圧力を感じた。
それ以降目の感覚が無くなり、何かされているのは医師の言葉と周りの音で感じる。
最初は医師の顔や姿などぼんやり見えているけれど、麻酔以降は目の中に地味な万華鏡のようなものが見えている。
誰かに押さえつけられているわけじゃなく、自分で動かないようにしていなければならない。
ずっと、くしゃみや咳が出ないようにと念じていた。

手術は眼球の中の硝子体というものを切除し、網膜に入り込んだ水分を抜き、網膜に開いた穴をレーザーで塞ぐものだ。
眼球にガスを注入し、その圧力で網膜を眼球に押しつけてくっつける。
ネット情報だけど、眼球に3カ所くらい穴を開けて、機器を挿入するらしい。
麻酔が切れて痛むことも無いが、目がゴロゴロする感じとか、ゴミが入ったようなチクチク感はあった。

手術が終わって病室に戻ると、今度はうつむき状態を維持しないといけない。
網膜をくっつけるためのガスを網膜に当てるためだ。
寝る時はうつ伏せに寝る。
うつ伏せに寝るための枕などは専用のものがあるが、当然ずっとうつ伏せは辛い。

私の場合は鼻の横あたりの網膜が剥離していたため、手術の翌日から正面向きと左を下にして寝ることが許された。
ワンランク下の安静度になったとのことだった。
横向きに寝てしまうと、寝ている間に仰向けになりそうな気がしたので、うつ伏せ寝だけは真面目に続けた。
首と肩が凝ったのだろう、痛くてたまらなくなった。
術前の仰向けから通算して2週間の不自由な生活だった。
首と肩の痛みは湿布薬をもらったものの、ほんのちょっと軽減した程度。
退屈との闘いも続いた。
ずっと寝ていられないし、昼間寝てしまうと、夜眠れなくて更に苦痛になる。
起きている時もうつむいていたので、猫背が悪化しそうで心配だった。

10月17日の診察で、退院予定が翌週10月21日だと主治医から告げられる。
あと何食食べると退院だと、指折り数えながら、首と肩の痛みに耐えた。
10月20日の診察で経過良好とのことで、退院日が決定。
看護師から退院後の注意などの説明があった。
シャンプーは10月23日からできるが、洗顔は次の通院日の10月28日の診察待ち。
上向き禁止、運動禁止、電気シェーバーと電動歯ブラシ禁止など。
仕事は軽い事務ならボチボチとのことだったので、復帰後リモートワークで午前中だけ仕事をしたりしていた。
目の中にガスが入っていて、それが視界を塞ぐので、右目だけの片目で仕事をした。

幸い今週からガスが少なくなって、視界が開けたので、両目で仕事ができるようになった。
10月28日の通院で、経過良好とのことで、上向き解禁となり、洗顔もできるようになった。
激しい運動はしないようにとのことだったが、そう聞くと軽い運動は良いのかと思ってしまう。
念のため通勤しても良いかと聞いたら、避けた方が良いと言われた。
術後1か月間が大事だと言われる。
要するに軽くても運動はだめだということらしい。
「網膜剥離」の再発率は10%超とのことで、術後も安静が必要らしい。
万が一再発すると、また0からやり直しとなる。

今朝起きた時はまだ小さなガスの球体が見えていたが、先程それが見えなくなった。
飛蚊症のような小さな気泡が僅かに漂っているが、もう消えたも同然だ。
とても新鮮な新しい朝が来た気分だ、
これで何事も無ければ、まだ運動はできないものの、視界は元に戻る。

「よし、日めくりカレンダーを進めよう!」
と、思った。

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