『恋とか愛とかやさしさなら』一穂ミチ
二つのパートに分かれている。
一つ目のパートは新夏(にいか)目線から書かれていて、二つ目のパートはその恋人啓久(ひらく)目線になっている。
新夏が啓久のプロポーズを受け、その翌日啓久が盗撮で捕まるところから物語は始まる。
良く見ると本の帯にはそう書かれているけど、気づかないまま読んでいたのでとても意外な展開だった。
一つ目のパートでは、新夏がうろたえ、結婚するかどうか悩みに悩み抜く。
悩むと言うよりも、理解できず答えを出せない苦しみと言った方が良いだろう。
新夏は何とか理解しようとするのだけれど、答えを出せない。
それが焦れったいから、なかなか読めなかった。
啓久の母親や姉の反応は対極だけど、どちらもあるだろうと思える。
新夏とその友人の反応も対極的。
要するに答えのない答えなのかもしれない。
二つ目のパートでは、啓久が真摯に自分の犯した罪と向き合う姿が描かれ、被害者の意外な行動とその後の意外な展開は面白いが、むしろ啓久も被害者も可哀想だと感じる。
被害者の家庭環境もひどいもので、そういう恵まれていない子供が一穂さんの作品にはよく出てくる気がする。
人間は一度犯罪を犯したら、それを忘れることができない環境に陥ってしまうのか。
ずっと背負って生きていかないといけないなんて、ちょっと可哀想だと思うのは罪の軽重を思っているからだろうか。
大罪だったら当たり前と思って、ちょっとした罪だったらすぐに許されても良いのではないかというのも、何だか変だと思う。
著者はこれが正しいと答えを出せないテーマに切り込んでいるのだと思う。
だからこそ何だかもやもやする読後感だった筈だ。
一穂ミチさんの作品は、これからも単行本が出たらすぐに読むだろう。
小学館 2024年11月4日