理想的な日々のつくり方
今年も残り僅かになり、今日を含めてあと11日になった深夜に、これを書いている。
ようやく書く気になったはじまりの文章である。
始める日は、こんな中途半端な日で良い。
むしろ、間もなくやって来る元旦に始めようとか、切りの良い日に始めようと思うと、うまく行かないことが多い。なぜか始めても、長続きしなかったりする。
きっと切りの良い日には、肩に力が入り過ぎているんだ。
こういう中途半端な日に始める方が、きっと長続きすると信じて、始めてみた。
始めるのは、こんな週末のほろ酔い状態が良いのだろう。
残りの人生がどれだけあるかはわからない。わかりようもない。
はっきり言えるのは、若い頃よりも確実に残り少なくなっているということだ、
だからこそ、残された日々はとても貴重なものだし、どうせなら理想の日々でありたいと思う。
そういう思いで、これを書きたいと、始めたいと思った。
それでは理想の日々とは、どんな日々なんだろうか。
これを語るには、そこから始めないといけないと思っている。
だけど、それが難しいのだ。
どんな日々が理想だとわかっていれば、話は早い。
一刻も早くそうした筈だ。
だけど、今日が理想の日々なんだと思った瞬間に、新たな理想の日々を求めてしまうものだろう。
人間とはそういうものだと思う。
だからいつまで経っても、理想には至らない。
理想の日々は、いつまで経ってもやって来ないのかもしれない。
それは欲張りな気がする。
人間ってそういうものだろうけど、あまりにも欲張りだろう。
そういう意味では、私が求めたいのは、「ほどほどの理想」なのかもしれない。
その方が答えは出て、きっと落ち着いて、穏やかな心でいられるのだろうから。
欲張りすぎては、幸福になれないことは確かだ。
この文章では、そんな「ほどほどの理想」を語りたい。
最近は考えることが面倒になり、物事に性急に結論を出そうとする傾向がある。
でもここで立ち止まって、じっくりと「ほどほどの理想」の日々について、考えることにしたい。
まずは理想の日々とはどんな日々なのか、それを考えることから始めよう。
次のテーマだ。